製薬大手のイーライリリー(NYSE: LLY)が、生成AIへの投資を急速に拡大している。 2024年にはOpenAIと組んで薬剤耐性菌の新薬探索に乗り出し、2025年10月には NVIDIAと製薬企業として世界最強級のAIスーパーコンピュータを構築すると発表。 2026年1月にはNVIDIAとの共同AIラボに最大10億ドルを投じる計画を明らかにした。
こうした動きを見ると、ある仮説が浮かぶ。生成AIを創薬に組み込んだ企業は、 これから世に出す新薬の数を増やせるのではないか。だとすれば、生成AIに本気で取り組む 製薬企業を早く見つけられれば、投資の手がかりになる。 では、イーライリリーのように生成AIの特許を自前で持つ日本の製薬銘柄はあるのか。 当サイトが収集している特許データを使って調べてみた。 結果は、当初の問いの立て方そのものを考え直させるものだった。
なぜ特許からAIへの取り組みが見えるのか
特許には、技術の内容を表す国際分類コードが付与されている。 このうち「G06N」は機械学習・人工知能に関する分類で、 さらにそのなかの「G06N3/04」系などは、生成モデルにつながる ニューラルネットワークの構造(オートエンコーダ、敵対的生成ネットワークなど)を指す。 つまり、企業がどのコードの特許を出願しているかを見れば、 その会社がAIのどの領域に、自前でどれだけ踏み込んでいるかを外から推し量れる。
当サイトの特許データは、世界の特許を網羅するGoogle Patentsの公開データセットを 基盤としている。今回はこの基盤から、2023年以降に公開された日本・米国の 生成AI関連特許をデータベースに取り込んだうえで、長期の傾向を見るために 2015年までさかのぼった集計も行った。対象は、イーライリリーと日本の主要製薬各社だ。
製薬各社のAI特許を並べてみる
まず、主要製薬企業がこれまでに出願したAI関連特許の件数を数え、 そのうち「生成AI系」がどれだけ含まれるかを色分けした。
主要製薬企業のAI関連特許の件数(2015〜2026年、出願人の名寄せ後)。 灰色が機械学習一般、紫が生成AI系。武田薬品が件数で突出している。ここで最初の意外な事実に突き当たる。生成AI投資の象徴的存在であるイーライリリー自身は、 AI関連特許こそ14件持つものの、そのなかに「生成AI系」に分類されるものが 一件もなかった。リリーが出しているのは、投薬デバイスの用量推定や睡眠検知といった、 機械学習の応用特許である。生成AIそのものを自社で特許化してはいないのだ。
理由は、冒頭で挙げたニュースのなかにある。リリーの生成AI戦略は、自前で技術を開発して 特許を固めるのではなく、外部の専門企業と次々に提携して能力を「買う」ことに重心がある。
イーライリリーの主なAI創薬・生成AI関連の提携。XtalPi、Isomorphic Labs、 OpenAI、Insilico Medicine、NVIDIAなど、外部との連携を矢継ぎ早に重ねている。 一方で、特許データ上はリリー自身の生成AI特許は確認されない。これは投資家にとって大事な示唆を含む。特許の件数だけを「AIへの本気度」の物差しにすると、 提携で能力を調達する企業を見落としてしまう。特許は「自前で作っているか」を映すが、 「外から買っているか」は映さない。両方を見て初めて、企業のAI戦略の全体像がつかめる。
自前で生成AIを特許化している日本企業はどこか
では、その「自前で作っている」側に、日本の製薬企業はいるのか。 AI特許のうち生成AI系が占める割合を見ると、答えは明確だ。中外製薬が突出している。
AI特許に占める「生成AI系」の割合。中外製薬は7件中6件が生成AI系で、 自前の生成AI開発に最も踏み込んでいる。住友ファーマ、武田薬品が続く。中外製薬のAI特許は7件と数こそ多くないが、その大半が生成AI系だ。 中核にあるのは、抗体やタンパク質の配列を設計する情報処理システムの特許で、 オートエンコーダや敵対的生成ネットワークといった生成モデルの分類が並ぶ。 これは同社が独自開発した抗体創薬の機械学習技術「MALEXA」に対応するもので、 日本・米国・欧州・中国に同じ発明を出願している。生成AIを創薬の中核技術として 自社で押さえにいく姿勢が、特許の中身からはっきり読み取れる。
武田薬品は、AI特許の総数では日本勢で最多だ。生成AI系には、腸の病理画像を スコアリングする深層学習の特許などが含まれる。住友ファーマは、生物医学の文献から 情報を抽出・可視化するシステムで生成AI系の特許を持つ。これら3社が、 生成AIを自前で特許化している日本の製薬企業として浮かび上がった。
| 企業(コード) | 代表的な生成AI特許の内容 | 技術の狙い |
|---|
| 中外製薬(4519) | 抗体・タンパク質を設計する情報処理システム | 生成モデルで抗体配列を創出(MALEXA) |
| 武田薬品(4502) | 腸の病理画像のスコアリング | 深層学習で病態評価を自動化 |
| 住友ファーマ(4506) | 生物医学情報の抽出・可視化システム | 文献からの知識抽出を生成AIで支援 |
生成AI特許は、まだ細い流れ
ただし、規模感には冷静になりたい。製薬業界のAI関連特許は近年たしかに増えているが、 そのなかで生成AI系が占める部分は、まだ細い。
主要製薬企業のAI関連特許の公開年別件数(合算)。 全体は増加基調だが、生成AI系(紫)はまだ小さい。 直近年は特許の公開ラグにより件数が過少に出ている点に留意。特許は出願から公開まで通常1年半ほどの時間差がある。生成AIブームが本格化したのは ChatGPTが公開された2022年末以降であり、その時期の出願がデータに出そろうのは これからだ。今後数年で、製薬各社の生成AI特許がどう積み上がるかは、 各社のAIへの本気度を測る継続的な観察ポイントになる。
研究開発費の大きさとは別物だ
AI特許の活動は、研究開発費の規模とは別の情報を持っている。 各社の直近の研究開発費とAI特許の累計件数を並べると、両者が単純に比例していないことが分かる。
横軸が研究開発費(直近通期)、縦軸がAI特許の累計件数。 第一三共は研究開発費が4,000億円超と大きいが、自前のAI特許は確認されなかった。象徴的なのが第一三共だ。研究開発費は日本勢でも上位だが、今回の集計では 自前のAI関連特許が見当たらなかった。同社はAWSと組んでAIエージェント型の創薬基盤を 構築するなど、外部基盤を活用する方向に軸足を置いている。 リリーと同じ「買う」戦略だ。一方、中外製薬は研究開発費こそ中位だが、 生成AIを自前で特許化している。研究開発費という「投じた金額」だけでは、 企業がAIをどう取り込もうとしているかは見えてこない。 特許データは、その金額の内訳に踏み込むための別の角度を与えてくれる。
投資の観点から
当初の問い、「イーライリリーのように生成AI特許を持つ日本の製薬銘柄はあるか」に答えるなら、 自前で生成AIを特許化しているという意味では、中外製薬が最も近く、武田薬品と住友ファーマが続く。 だがこの検証で見えたより重要なことは、製薬企業のAI戦略には「自前で作る」と 「提携で買う」の二つの型があり、特許が映すのは前者だけだ、という事実である。
イーライリリーは典型的な「買う」型で、特許には現れない。中外製薬は「作る」型で、 特許にくっきり現れる。第一三共のように研究開発費は大きくても自前AI特許が薄い会社もある。 どちらの戦略が優れているかは一概に言えないが、投資判断では、特許データ(作る側)と 提携・外部投資のニュース(買う側)の両方を突き合わせて初めて、その企業がAIを どう事業に取り込もうとしているのかが立体的に見えてくる。
まとめ
特許データは、企業が「自前で」どの技術に踏み込んでいるかを、客観的なコードで映し出す。 今回の検証では、生成AIを自社で特許化している日本の製薬企業として中外製薬が際立ち、 武田薬品・住友ファーマが続くことが分かった。同時に、生成AI投資の象徴であるリリー自身は 自前の生成AI特許を持たず、提携で能力を調達していることも明らかになった。
一つのデータだけで企業の全貌は捉えられない。特許が映すのは戦略の半分だ。 だからこそ、特許という「作る側」のレンズと、提携ニュースという「買う側」のレンズを 組み合わせることに意味がある。オルタナティブデータは、公式発表の手前にある 事実の断片を拾い、それらを束ねて初めて、投資判断の解像度を上げてくれる。
本稿の特許分析は、Google Patents Public Datasets(patents-public-data)を基盤とし、 国際特許分類G06N系のコードに基づいて集計しています。出願人名は名寄せを行っていますが、 子会社・共同出願の扱いにより件数には誤差が含まれ得ます。 研究開発費は各社の直近通期の決算開示に基づき、決算期の違いから単純比較には注意が必要です。 リリーの提携に関する記述は各社の公表資料・報道に基づきます。 記載内容は情報提供を目的としたものであり、投資助言ではありません。